■「おじいちゃん、違うよ!違うよ!何やってるんだ~」


と、こだまっちがお寿司屋さんで、げらげら笑う。


父のほうに目をむけると、くしゃくしゃにこだまっちが投げて捨てた紙ナプキンを箸でつまみ、

醤油をつけて口に入れるところだった。


■最近、母から泣きの電話が入るようになった。


「お父さんが、おかしい。今日は車がなくなったとパニックになっちゃって…」

などなど。


二年ほど前から、うっすらと物忘れが激しくなったので、「物忘れ外来」というところに父が行った。

脳の写真を撮っても萎縮は見られず、

お医者様の問診やテストでも、「年相応の物忘れですよ。認知症じゃないですね。」

と、診断を受け、私たち家族もほっとし、父も嬉しそうだった。


あれから、2年。この2,3ヶ月でぐいーんとすすんだ父の物忘れ。


ワタシの勘としては、「遊べてもあと一年ぐらいかな…」と素人だが感じるので、がんがん一緒に旅行したり、

帰省をしている。


高速のサービスエリアで父がトイレに行くと、車に一人でもどることができない。

乗っていっていない車を「盗まれた!」と勘違いし、ずーっと探し回る。とかとかとか。


なんていうのかな。

新しいことができない。

今までのことはできるんだけど、自分の生年月日も言えるし、今日の日付も言えるんだけど。

新しいことが、著しくできないんだよな…。


■で、まあ、母親は辛いわけで。


「おとーさんが、だんだん死んでっちゃう…」と、しくしく泣いている。


そうだよな。

配偶者が死ぬのって、きっとすごく特別だ。


お父さんにも、お母さんにも、ワタシのできることはなんなんだろうな。


■で、実家にぶいっと帰り、年賀状の住所を打ち込んだり、印刷したり。(すさまじい名簿で大変だったよー(泣))

彼らの携帯電話を契約したり、機種変したり。


GPS機能ってさ、迷子になった人を見つけるために携帯に入っていたらいいのかなって思ってたんだけど。

探す時GPS入っていなくてもいいんだってなー。


■こだまっちは、おじいちゃんが大好きなので、

「腕相撲しようよ!」「けんかごっこしようよ!」と、父を遊びに誘う。


自分でも物忘れの激しさに自信をなくし、どことなくおどおどしはじめた父にとって、

こだまっちの明るさと、単純な遊びは、心を明るくするものにも思われ。


いや、救われているのは、きっと私だ。


あんなに、ユーモアがあって寡黙で自信のあった父が、

おどおどして、不安そうで、寝てばかりいる。


「忘れっぽくたっていいじゃん、だってそういうもんだよ」というスタンスでいたい。

寝てばかりだっていいのだ。

そして、それを辛く思ってしまう自分がいてもいいんだ。


いいんだ。

いいのか?


■と、物忘れ?認知症?について、調べたいとおもう今日この頃。


あと、同じように自分の家庭、夫とこだまっちも大事にしようと思うわけで。

でも、明らかにこの3日間わりくらってるわけで。


バランス、バランス。

60点でずっと長く続く生活を目指し。ちょっとやってみますかいのう。